データでみるパナマ運河の現状

1. 運河の構造(1)
パナマ運河は、大西洋と太平洋を繋ぐ全長約 80km の閘門式運河です。運河中央に位置するガトゥン湖(人造湖)の湖面の高さ(海抜 26m)が海面の高さと異なります。このため、運河を通航する船舶は、閘門により 3 段階にわたり湖面の高さまで上げられて湖を航行の後、また閘門により 3段階にわたり海面の高さまで下ろされることになります。
パナマ運河の構造
これまで、大西洋側の運河入口にガトゥン閘門、太平洋側の運河入口にミラフローレス閘門とペドロミゲール閘門が設けられていました。また、運河の通航需要の増加及び船舶の大型化に対応するため、2016 年 6 月 26 日に拡張パナマ運河が通航可能となり、大西洋側にアグア・クララ閘門、太平洋側にココリ閘門が設けられました。なお、既存の閘門は2レーン設置されている一方、同拡張では1レーンの閘門が設置されたため、既存の閘門は第一・第二閘門、新たに設置された閘門は第三閘門と呼ばれています。
パナマ運河の主要施設位置図
第一・第二閘門及び第三閘門のサイズの比較
2. データでみるパナマ運河の現状(2)
1) 通航隻数と通航料
毎年の運河通航隻数は、13,000隻から14,000隻の間を推移しています。年間通行料は26億ドル程度となっています。また、通航料以外の運河関連収入を含めると、2020年のパナマ運河における総収入は34億ドルとなります。
2) 船種別通航隻数及び貨物量(外航船のみ)
隻数ではドライバルク船が一番多いですが、パナマ運河独自の通行料測定システム、パナマ運河ユニバース測定システム(PC/UMS)では、コンテナ船が最も多くの貨物量であることを示しています。これはコンテナ船の大型化により、後記3)でもわかるとおり、ネオパナマックス船(旧パナマ運河では航行不可)が新パナマ運河を航行するようになり、新パナマ運河の需要が非常に大きくなっていることがわかります。
貨物量(PC/UMS):単位百万トン、運河の通航料評価のためのトン数測定システム、パナマ運河ユニバーサル測定システム(PC / UMS)
3. ネオパナマックス船(新パナマ運河通航船/2020年)
2に示すコンテナ船の運河通航隻数のうち55%(1,408隻)が新パナマ運河を航行しています(ポストパナマックスの大型船)。また、LNG船の2020年における運河通航隻数は419隻ですが、そのうち406隻(97%)が新パナマ運河を通航したことになります。新パナマ運河開通により、トランスパシフィック(太平洋・大西洋間)というコンテナ船及びLNG船の新たなトレードのビジネスモデルが構築されたことの意味は大きいでしょう。
4. 国別輸送量(2020年上位10か国)
パナマ運河を使用した貿易は、米国発により各国に配船される貨物輸送が圧倒的に多く、その次にアジア各国の発着、そして南米諸国となっています。
(輸送量:百万LT)
(参考資料)
- 在日本パナマ大使館
- 2で使用の各データは、パナマ運河庁(Panama Canal Authority)のデータを基に筆者が作成したものである。
Tags
You may also be interested in:
回覧08/22: MARINトップティア・プロジェクト - コンテナ船横揺れリスク推定表
2022/08/08
この度、国際P&Iグループは、MARINより最新版の横揺れリスク推定表(Roll Risk Estimator)を受領しました。こちらのMARINのサイトよりダウンロードしていただけます。この横揺れリスク推定表を使用することで、危険な横揺れ運動を引き起こす速度、方位、波の周期の組み合わせをご確認いただけます。
サントス:コーヒーから 21 世紀まで - 運送業者のための水路の開発
2023/05/03
1543年に設立されたサントスは、長い間港湾都市として知られてきました。最初はコーヒーの輸出から始まり、その後他の商品を輸出するようになりました。サントスは1990年代に大幅に近代化され、新たな技術を導入してコンテナターミナルだけでなくドライバルク、液体バルク用の専用ターミナルが拡張され、国の貿易のほぼ 27% を取り扱っています。
国際P&Iグループ、コンテナ損失の原因究明に関するプロジェクトに参加
2022/02/04
国際P&Iグループは、オランダ海事研究所(MARIN)のトップティア・プロジェクトのメンバーとなりました。このプロジェクトは特に超大型船に焦点を当て、様々なサイズのコンテナ船の海上事故によるコンテナ損失の原因を調査・査定する目的で発足しました。
現代世界の七不思議:パナマ運河
2021/07/22
1914年、1隻の船がパナマ運河をファンファーレも無くヒッソリと通航しました。これは44年前に始まった多国籍の取り組みが実を結び、最終的にはエンジニアリングの偉業がほんのわずかな可能性となった結果でした。