Titanic 沈没

タイタニック沈没から何を学ぶか?
スペインの哲学者、ジョージ・サンタヤナはかつて述べました:
過去を覚えられない者は、 過去を繰り返す運命にある。
この記事では、海事史上最も悪名高い歴史的事件の1つである、タイタニック号の沈没を振り返ります。報告された事実に基づいて事故を調査し、ヒューマンエラーを理解した上で、同じような事故が繰り返されるのを防ぐための学習の機会です。
概要
1912年4月10日、客船タイタニック(46,328トン、ホワイト・スター・ライン)は、サウザンプトンを出港し、ニューヨークへ向けての処女航海中、4月14日23時40分に氷山に衝突し、2時間40分後に沈没しました。約2,200人の乗客、乗組員のうち、1,500人以上の犠牲者を出した当時世界最悪の海難事故でした。本事故を契機に国際ルール(条約)等が整備され、世界の海事社会における影響も極めて大きいものでした。
経緯
4月14日
2200時
ライトラー(Lightoller)2等航海士は、マードック(Murdoch)1等航海士に当直を引き継ぐ。本船は、外部情報による流氷海域内にあることを伝える
2240時
- 船首マスト上の見張り台(Crow’s Nest)の見張りが、鐘を3回鳴らす。(これは異常事態に対する警告を意味する)
- その直後に見張りから電話があり、「正面に氷山」というメッセージが続く。
- 当直航海士のマードックは、直ちに「右舷舵一杯」(Hard-a-starboard)と操舵手に指示し、エンジンテレグラフを、「停止、後進全速」(Stop, Full speed astern)とする。船首が約2ポイント(22.5度)左舷に回頭した時、氷山は右舷前方に衝突した。マードックは同時に、機関室とボイラー室の水密ドアを閉鎖するために、レバーを引いた。
- 船長は直ちに昇橋し1等航海士に状況を尋ね、1等航海士は、次のように答えた。「氷山です、右舷舵一杯をとり、機関を後進全速としました。それから左舷舵一杯をとり氷山を避けるため回頭しようと思いましたが、氷山は近すぎました。水密ドアは閉鎖しました。」
4月15日
0005時:14隻の救命ボートを用意するよう指示
0030時:女性と子供をボートに乗せるように指示
0045時:1等航海士は、7番ボート(右舷)を降下させるよう指示し、その後各ボートは用意ができ次第、海面上に降ろされた。
0220時:沈没(北緯41度46分、西経50度14分)
分析
1. 天候及び流氷の状況
当日の天候は、雲も無く快晴であり、月は有りませんでしたが星は輝いていました。午後になり気温が下がりだし、2時間で12度下がり1930時には0.5度Cになりました。
しかし、気温の低下が必ずしも流氷の兆候ではないということが、水路誌に記載されています。(The Nova Scotia (S.E. Coast) and Bay of Fundy Pilot)
当日0900時に、流氷の情報としてCaronia号の船長から次のメッセージを受領しました。「西航船からの情報では、北緯42度、西経49度から51度に氷山や大小の流氷があり」
また、1342時、Baltic号から次のような無線が入りました。「出港してから風向は定まらないが、和風(moderate)でり、天候も良好である。Athenai号からの報告によると、本日北緯41度51分、西経49度52分で氷山と大量の流氷に遭遇したとの報告があった。貴方とタイタニックの成功を祈ります」
この後もいくつかの同様の流氷情報を他船から受領しましたが、それらがすべて船橋に報告されてはいませんでした。通信士(Marconi社より派遣、乗客の電報窓口という役割が強い)は、8時以降、タイタニックの乗客のためにCape Race局経由で乗客のメッセージを送信するのに忙しく、流氷情報の緊急性と重要性を把握できず、脇に置いていた可能性があります
表-1は、1998年から2021年の過去23年における4月14日(西経50度の海域)における流氷(氷山を含む)の位置を示したものです。この表からわかるとおり、毎年氷山の南下位置は大きく変化しますが、Titanicの事故があった位置(北緯41度から42度)まで流氷が南下した回数(年数)は、7回(年)あり、この海域の航行は常に注意が必要なことがわかります。
表-1 1998年から2021年(23年間)の4月14日の氷山位置2
図-1は、タイタニックの沈没した位置を、同日となる今年の4月14日の流氷チャート(氷山を含む)にプロットしたものです。今年の流氷は、北緯48度まで南下していますが、沈没位置はそれよりかなり南(北緯41度46分)ということがわかります。
図-1 タイタニック沈没付近の流氷チャート(2021年4月14日)3
2. 氷山との距離
氷山を発見してから衝突が発生するまで、タイタニックは左舷に約2ポイント(22.5度)進路を変更しました。その後のさまざまな実験から、舵を右舷一杯に切ってから左舷2ポイントまで進路を変更するには、衝突時の速度(約22ノット)で、約37秒かかることがわかりました。このとき、船は約466ヤード(426m)進行し、命令が出されるのに必要な数秒を考慮して、船橋から、あるいは船首の見張り台から500ヤード(457m)の距離であったことがわかります。
レーダーも無い時代ですので、夜間の障害物の発見は非常難しく、また、発見したとしても500m未満の距離を22ノットの高速で航行する船舶が、それを避航するのは、非常に難しい、と言わざるを得ません。速力を減じるなど、霧中航法と同様の航法が必要でしょう。
3. その他の問題点
本件では様々な問題が提起されましたが、ここでは下記点について簡単に記述することにとどめたいと思います。これら問題点は、現在SOLAS条約によりそれぞれ対応がなされています。
① 水密隔壁の問題
氷山との衝突により5つの水密区画が浸水しましたが、この区画の浸水にとどまらず、船首の沈下によって後方の多くの水密区画にまで浸水し沈没しました。これは水密隔壁が、隔壁甲板まで達しておらず、水密区画に侵入した海水が水密隔壁を乗り越えたためです。(参考)SOLAS条約2-1章 第10規則 水密隔壁の構造
② 救命設備の不備
Titanicには、救命ボート(折り畳み式を含む)が20隻ありましたが、全てのボートの定員の合計は1187名でした。事故当時、約2200人が乗船しており、約半数の人しかボートに乗ることができません。当時の規則では、救命ボートは、テンダーボート(乗下船用ボート)という意識が強く、定員分のボートを搭載するというものではありませんでした。(参考)SOLAS条約では、船舶には、全員が乗船できるだけの救命艇を備え、航海中救命訓練を実施することなど、規定されていることは周知のとおりである。
③ 通信士
前述のとおり、当時通信士はホワイトスター社の社員では無く、Marconi社からの派遣員であり、無線通信も航海のための重要な補助手段というより、乗客相手の電報窓口とみられていました。従って夜間においては、無線業務は実施されていません(参考)1914年に採択されたSOLAS条約では次のことが規定されました。「船舶には、モールス無線電信を設置し、500kHzの遭難周波数を24時間聴守する無線当直を行い、そのための通信士を乗船させなければならないこと」
エピソード
1) 操舵号令
4月14日2200時、見張員から船橋に「正面に氷山」というメッセージが届くと、当直航海士のマードックは、直ちに「右舷舵一杯」(Hard-a-starboard)を令しました。この時、Titanicは氷山を右側にかわすため、左回頭をしています。いくつかの映画の中でもこのシーンがあり、Starboardが左回頭?と、疑問の思った人も沢山いたと聞いています。
1920年代まで、船舶での号令は、小型船(ヨット等)のチラー(舵柄、ヘルム)の動作と同じような考えでした。すなわち、「Starboard」とは、チラーを右側に、押せ、ということで、舵板は左に向き、船は左に回頭します(間接法)。汽船が発達し、船舶が次第に大型化すると、舵も直接「チラー」ではなく、ギアやチェーンなどの遠隔装置によって舵輪を操作するようになりました。この場合、舵輪は、回頭したい方向に回し、それまで使われていた操舵号令と矛盾が生じるようになりました。
それで、操舵号令は、チラーの動きではなく、舵そのものの動き、すなわち、船の回頭方向に対して行うべき、と言われはじめました(直接法)。このようなことから、1929年SOLAS会議において、操舵号令に関し、次のように統一することになりました。
第41条 例)
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2) 女性と子供を優先せよ(Women and Children First)
救命ボードで退船避難するとき、「女性と子供を優先せよ」という指示が発せられたと言われています。事故後の調査委員会で、ライトラー2等航海士は、本件に関し次のように証言しています。
「私は船長に女性と子供を乗艇させるべきか尋ねました。船長は、“そうだ、女性と子供を乗艇させ、ボートを降下せよ”」I asked him should we put the women and children in, and the Commander said "Yes, put the women and children in and lower away."
また、1等船客のMrs. Lucian P. Smithは、調査委員会で次のように証言しています。(一部省略)
「船長は、メガホンを持って甲板上に立っていました。そしてメガホンを通して再び次のように怒鳴っていました。“女性と子供が優先です“」Capt. Smith was standing with a megaphone on deck. -----He shouted again through his megaphone, "Women and children first."
このように、Titanicでは、避難するとき「女性と子供を優先」としました。このフレーズは過去の海難事故においても発せられたと言われており、海上での暗黙の規範とされています。
一方、表-2をみると、男性乗客の救助者が左舷艇では極端に少なくなっていることがわかります。左舷では、9隻の救命艇が使用されましたが、そのうち5隻には男性乗客は一人も乗艇していませんでした。これは、左舷救命艇の指揮者であるライトラー2等航海士が、「女性と子供が優先」という言葉を、「女性と子供のみ」(Women and children only)と勘違いしたのではないかと言われています。これにより、ボートに余席があっても男性を乗艇させずに、ボートを海面に降下しました。
救助された人の合計は、854名で、内訳は次のとおりです。
- 男性乗組員 107名
- 男性乗組員 43名
- 女性・子供 704名
全てのボートの定員は、1187名であり、300以上の余席があったわけです。
表-2 Titanicにおける生存者人数
映画“Titanic”4では、本件に関係するシーンの中で、次のような会話がありました(フィクションの世界です)
・Lightoller 2等航海士 「女性と子供をボートに乗せた方が良いのではないでしょうか。」 “Hadn't we better get the women and children into the boats, sir?” ・Smith船長 「女性と子供達を最初に」 “Women and children first.”
(右舷側ボートの前で乗客に説明) ・Lightoller 2等航海士 「さしあたり、女性と子供のみを、乗船とする」 “For the time being, I require only women and children.” |
調査委員会の結論
正式調査は、アメリカとイギリスで実施されました。イギリスでの最終報告書には、「Titanic沈没は、過大速力により、氷山に衝突した」とされました。また、両委員会はそれぞれ勧告を出しましたが、細部はある程度の差異はありますが、主な点は次のとおりです。
- 旅客船では、乗船人員全員ための救命艇を設置のこと
- 救命艇訓練は、徹底して行い十分な頻度で実施のこと
- 通信士は1日24時間体制にすること
- 大西洋を横断する船舶は、航路をもっと南寄りにすること
- 船舶の水密性、復元性を改善すること
Lessons from this accident (温故知新)
現在はSOLAS条約をはじめ、多くの条約や規則があり、船舶の運航に関しては、1912年とは環境が大きく違います。しかし、Titanic沈没事故からの現在へのメッセージも多くあり、次の2点を挙げたいと思います。
1) 航海計画の策定と実行
航海計画の策定には、次の4段階があります。
- 評価(Appraisal)
- 計画立案(Planning)
- 計画実行(Execution)
- 監視(Monitor)
Titanic事故では、評価段階での特に氷山に関する評価と、その評価を基とした計画立案が鍵となったのではないでしょうか。立案の中には、氷山や流氷遭遇時における対応(安全な速力を含む)や、航海計画変更手順も入れなければなりません。
2) 海上衝突予防法の順守
本件では、適切な見張りの欠如、及び過大な速力が一因であり、これは海上衝突予防法第5条(見張り)及び6条(安全な速力)に規定されています。これらを遵守することは、船舶の安全運航の基本であり、今後も大変重要なことです。
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参考資料
1タイタニック調査報告書
https://www.titanicinquiry.org/
2North American Ice Service
https://www.navcen.uscg.gov/?pageName=NAIceService
32を基に著者が作成
4映画“Titanic” (1997、Paramount Pictures Corporation他)