相互組合の創成期
19世紀半ば、船舶所有者は1854年商船法(the Merchant Shipping Act 1854)に基づく人命損失や人身事故の責任、および通常の海上保険ではカバーされないリスクに対する保険カバーを必要としていました。当時はその船舶または積荷の額を超過する額の保険カバーは法的に不可能であったため、被保険者は付保している船舶の価額を超える責任や損失、つまり超過衝突賠償責任に対する保険を必要としていたのです。ロンドンの船体保険者は船舶衝突損害賠償金てん補条項(Running Down Clause)つきの保険契約で賠償金の4分の1をカバーしなかったため、船舶所有者は、衝突責任の4分の1をカバーする保険を必要としていました。ロイズの統計委員会の調査の結果、海上での衝突事故の件数は、蒸気船が導入されて以降、急速に増加していたことがわかりました。風を受けて航行する帆船とは異なり、蒸気船は狭い範囲で航行するため衝突しやすいのです。船舶所有者の中には、タバコなどの貨物に対する高額クレームが起こる可能性を心配し、眠れぬ夜を過ごすものもいました。
1855年に最初の相互組合が設立されて以来、他の組合もそれに続き、メンバーのニーズに応えて、加入船舶トン数に比例してクレームリスクを負担するタイプの保険が提供されました。ロイズと海上保険会社が船舶とその貨物の保険カバーを提供し、第三者に対する損害賠償への補償は相互組合が提供するという、新たな責任分担の形態が生まれたのです。この新しい責任を保護する組織の前身は、従来の船体保険組合であったことがその記録からわかっています。当時、船体保険の相互組合に保険加入した多数の船舶は冬の間は係船されており、新しい航海シーズンに向けて準備が整う日は伝統的に2月20日とされていました。そのためこの日の正午に保険年度が開始することになったのです。
ザ・ユナイテッド・キングダム・ミューチュアル・スティーム・シップ・アシュアランス・アソシエーションが設立された 1869年は、国際海運の歴史上画期的な年でした。待望のスエズ運河が開通し、インドやさらに極東への航路が短縮されました。石炭バンカーが高騰する中、アフリカの古い港経由ではなくスエズ運河を航路に中東の拡大された港が選ばれるようになったのです。
UK P&Iクラブは設立後、最初の2年間は船体とマシナリーリスクに対する保険カバーを提供していました。その後、1871 年に船舶所有者または運航者としての第三者賠償責任と乗組員に対しての使用者責任を、1886 年に積荷運送人として荷主に対して負う責任の保険カバーを開始しました。2019年に150 周年を迎えたUKクラブは、世界中に拠点とメンバーを擁し、国際P&Iグループで最大級のクラブへと成長を遂げたのです。