本回覧では、1992年の「油による汚染損害についての民事責任に関する国際条約」(以下、「1992CLC」)における「船舶」の定義に関する、国際油濁補償基金(以下、「IOPC基金」)の加盟国向け最新ガイダンスを要約し、これらの変更の契機となったBow Jubail号事故を取り上げるとともに、MARPOL条約附属書Iと附属書II の貨物を切り替えて運送するタンカー向けのガイダンスについて説明します。
2025年11月に開催されたIOPC基金運営機関総会において、IOPC基金執行委員会は、IOPC基金が発行する「加盟国向けガイダンス – 1992CLCにおける『船舶』の定義に関する検討」に新たな脚注の追記を採択しました。この脚注は、1992 CLCと2001年バンカー条約の双方で適格船として認められる船舶について、いつの時点で1992CLCで定義される「船舶」に該当しなくなるかを判断するための標準手続に関するガイダンスを示すものです。
本回覧は、改訂の理由および、MARPOL条約附属書I 1と附属書IIの貨物を切り替えて運送するタンカー向けガイダンスの概要を示しています。
法的枠組み
持続性油を運送するタンカーによる油濁損害に対する補償制度の概要
1992 CLC、1992基金条約および2003追加基金議定書は、各条約の加盟国の領域または排他的経済水域で発生した、タンカーからの持続性油の流出による汚染損害に対する責任制度を確立しています。
1992 CLC は、船舶からの持続性油の流出または排出に起因する汚染損害について、登録船主に厳格責任を課しています。この厳格責任と引き換えに、登録船主は、船舶の総トン数に応じて 8,977万SDRを上限として責任を制限することができます。
この上限を超過する部分について、1992基金条約は、1992 CLC の適用がない、または不十分である場合に、2億300万SDR を上限として被害者を補償する制度を確立しています。追加基金は 1992基金条約の補償上限を超過する部分について追加補償を提供し、1事故あたりの補償総額を7億5,000万SDRとしています。これらの補償階層はいずれも、加盟国における石油の受取人に課される賦課金によって資金が賄われます。
タンカーが1992 CLC における「船舶」に該当する場合
1992 CLC第1条(1)は「船舶」を次のように定義しています。
「ばら積みの油を貨物として運送するために建造または改造された、海洋航行船舶およびあらゆる種類の海上用舟艇をいう。ただし、油および他の貨物を運送できる船舶は、実際にばら積みの油を貨物として運送しているとき、そして運送されていたばら積みの油の残留物が船内にないことが証明されない限り、その運送に続く航海においてのみ、船舶とみなされるものとする。」
1992 CLC 第1条(5)は「油」を次のように定義しています。
「原油、燃料油、重ディーゼル油、潤滑油などの持続性の炭化水素鉱物油をいい、船舶により貨物として運送されているか、その船舶の燃料タンクにあるかを問わない。」
つまり、1992 CLC は貨物の流出だけでなく、貨物を積載したタンカーの燃料油の流出も対象としています。さらに、貨物を積載していないタンカーであっても、その前の航海でばら積みの油を貨物として運送しており、その運送による残留物が船内にないことが証明できない場合には、燃料油の流出も対象としています。Bow Jubail号事故では、後者に該当する状況が発生しました。
Bow Jubail号事故
事故概要
2018年6月23日、石油・ケミカルタンカーBow Jubail号 はバラスト状態でロッテルダム港の桟橋に接触し、約217 トンの燃料油を流出させました。本船は、事故時は空荷でしたが、その前のヒューストン出し、アントワープ経由ロッテルダム向けの航海では、ばら積みの持続性油を貨物として運送していました。持続性油の荷揚げ後、本船は MARPOL 条約に基づく予備洗浄を行い、スロップを廃棄物受入施設に排出し、次の貨物の積載基準を満たすために、さらに2回の洗浄作業を行っていました。
船主は 2001年バンカー条約に従い、「海事債権責任制限条約」(以下「LLMC」) に基づく責任制限をロッテルダム地方裁判所に申し立てました。しかし、船主が事故当時、Bow Jubail号船内に残留物がないことを十分に立証できなかったとして、地方裁判所はこの申し立てを却下し、控訴裁判所もその判断を支持しました。
その結果、1992 CLC が適用され、船主の責任限度額は LLMC に基づく限度額より約 160万SDR 高くなっています。また、当該汚染損害が責任限度額を超過したため、1992基金条約に基づく追加補償が提供されました。
最高裁判決
2023年3月31日、オランダ最高裁判所は Bow Jubail号事故に関する判決を下しました。最高裁は地方裁判所および控訴裁判所の判断を支持してLLMC に基づく責任制限を認めず、その一方で、船主が前航海の残留物がなかったことを立証できなかったとして、1992 CLC を適用しました。
この判決は、1992 CLC 第1条(1)における「船舶」の定義が、基金執行委員会が従来採用してきた解釈とは大きく異なって解釈され得るリスクを浮き彫りにしました。控訴裁判所が指摘したように、MARPOL条約附属書I と附属書II の貨物を切り替えて運送する船舶が、いつ残留物がない状態になったとみなせるかを判断するための標準手続が存在していないことが、この解釈の相違を生む一因となったとされています。
この事例が1992CLCにおける「船舶」の定義にさらなる広範な影響を及ぼす可能性が懸念されたことから、1992基金執行委員会はIOPC基金事務局長に、いつ船舶が条約上の「船舶」に該当しなくなるかを判断するための標準手続と、1992CLC第1条(1)における「残留物」の解釈を検討するよう要請しました。
これを受けて、IOPC基金事務局長は、国際グループ を含む業界代表と一連の会合を実施し、ガイダンスをIOPC基金の既存刊行物に脚注として組み込む方向で調整を進めました。「残留物」の解釈を含む脚注の最終案は 2025年11月のIOPC基金運営機関総会に提出されました。
脚注
総会において、以下の脚注が採択されました。
「1992CLCにおいて、『残留物』とは、著しい汚染リスクを有する量の持続性油貨物の残渣を意味する。MARPOL 73/78条約付属書 I 第4章に従って実施されるタンク洗浄により、残留物およびそれによる汚染リスクは除去される。船舶が、MARPOL 73/78 条約付属書 I 第4章に従い、貨物タンク、スロップタンク、残油タンクおよびそれらに関連するすべてのポンプ・配管の洗浄およびフラッシングを実施し、すべての油、タンク洗浄水、および/または油性混合物を船外に排出または移送した場合、MARPOL条約が要求する、船長が追認の副署を したオイルレコードブックは、残留物が船内にないことを示す一応の証拠となる。」
この脚注は、IOPC基金刊行物「加盟国向けガイダンス – 1992CLCにおける『船舶』の定義に関する検討(Guidance for Member States – Consideration of the definition of ‘ship’ under the 1992 Civil Liability Convention)」の 3.1(2)と3.1(4)に追記されました。同ガイダンスは IOPC FUNDS | IOPC Funds’ Publicationsでご覧いただけます。
「残留物」の解釈
1992CLC第1条(1)における「残留物」の解釈は、タンク内に油が一切残っていないことを証明する必要はなく、タンクが実質的に汚染リスクを示さない状態になるまで十分に洗浄されていればよい、という共通認識を確認しました。
船長の副署
MARPOL 条約に基づくオイルレコードブック(以下「ORB」)では、責任士官が各作業の完了後に署名し日付を記入し、船長は各ページに副署することが求められています。
脚注を策定する過程では、一応の証拠として機能する手続きについて複数の案が検討されました。最終的に、船主に追加負担を生じさせることなく、明確で確実な手続きを提供するものとして、MARPOL条約で要求される船長の副署が最適であると結論付けられました。
W副署の位置については、MARPOL条約の必須要件に従い、船長は記入が完了したページの最下部に署名すべきであり、各項目ごとに署名する必要はないとされています。未記入ページに署名する場合には、一連の作業が完了した段階で船長がページの最下部に署名し、その後に項目が書き込まれることを防ぐため、ページの空欄部分に抹消線を入れることが一般的慣行であることも確認されました。
メンバーへのガイダンス
メンバーの皆様は、本ガイダンスに留意し、MARPOL条約附属書I と附属書II の貨物を切り替えて運送するタンカーの乗組員による本ガイダンスの理解と遵守の確保が求められます。本ガイダンスは、MARPOL条約に基づく既存の義務を超えて新たな義務を課すものではありません。この脚注は、船舶に残留物がないことを示す一応の証拠となる手続を規定したものであり、前向きな進展です。これにより、前航海で持続性油を運送していた空荷のタンカーが、残留物がないことを証明しやすくなり、燃料油の流出が発生した際にLLMCや事故発生国で適用されるその他の責任制限規定を船主が援用できる可能性が高まることが期待されます。この脚注は、船主が残留物がないことを示す追加の証拠に依拠することを妨げるものではありません。
国際グループのすべてのクラブは同様の回覧を発行しています。
以上
UK P&Iクラブ 日本支店 訳
1すべてのMARPOL条約附属書I貨物が1992 CLCや2001年バンカー条約上の「持続性の炭化水素系鉱物油」とは限らないが、貨物が持続性か非持続性かを巡る不確実性を避けるため、附属書Iと附属書IIの貨物を切り替える場合は、本ガイダンスに従うことが推奨されます。




