海運に拡大されたEU排出量取引制度
はじめに
二酸化炭素(CO2)をはじめとする温室効果ガス(GHG)の主な排出源は化石燃料です。カーボンニュートラルな代替燃料の生産に向けて世界的な努力が払われていますが、そのような燃料が完全に利用可能になり、船舶が使用できるようになるまでには、まだしばらく時間がかかるでしょう。気候変動による最悪の影響を回避するためには脱炭素化が急務です。パリ協定の目標に沿って、EUとIMOは、2050年までに、あるいはIMOの場合は「2050年頃までに、すなわち2050年近くに」、温室効果ガスの排出量をネットゼロにするという野心的な目標を設定しています。[1] IMOの取り組みに関する当クラブのディスカッションについては、「船舶の脱炭素化へのロードマップ」をご参照ください。本稿では、EUの新しい取り組み、特に海運に関連する排出量取引制度の枠組みを取り上げます。
欧州連合の排出量取引制度(EU-ETS)
EU-ETSは世界初の排出量取引制度であり、現在も複数の国、複数のセクターにまたがる最大の温室効果ガス排出量取引制度です。今日、この制度はEUの包括的な気候目標に沿ったものとなっています。この制度はキャップ・アンド・トレード方式を採用して、GHG排出量の限度、または、上限(キャップ)が特定の経済セクターに設定されています。EUは毎年、各セクターに対して限られた数量のEU排出枠(EUAs)を割り当てており、利用可能なEUAsの数量を年々削減していきます(下記参照)。 事業体は、EU-ETSの対象となる年間温室効果ガス排出量を償却するのに十分なEUAsを購入しなければなりません。
事業体はEUA当たりCO2 換算で1トンの地球温暖化係数に相当する量の温室効果ガスを排出する権利を与えられます。 メタン(CH4)と亜酸化窒素(N2O)も2026年からEU-ETSの対象となります。メタンの地球温暖化係数はCO2の28倍、亜酸化窒素の地球温暖化係数はCO2の228倍であるため、排出されるメタン1トンに対して28 EUAs、亜酸化窒素1トンに対して228 EUAsを償却しなければなりません。
2021年、EU-ETSはEUの "Fit for 55 "パッケージ法案[2] に盛り込まれ、2024年1月1日から海運にも適用されることになりました。EU-ETSに海運を含めたことにより、EUは2030年には2005年比で62%の温室効果ガス排出削減目標を達成することが期待されています[3].
EU-ETSはどのような船舶に適用されるのか?
EU-ETSは、以下のように除外[4] 対象でない船舶、または最小サイズ未満の船舶を除いて、船籍に関わらずEUの港に入港するすべての船舶に適用されます:
- 5,000GT以上の貨物船および旅客船は、2024年3月1日からEUの監視・報告・検証システム(「EU MRV」 - 後述)へのデータ報告を開始し、2024年に報告された排出量について2025年9月30日までに最初のEU排出枠(EUAs)を償却しなければなりません。
- 5,000GT以上のオフショア船は、2025年1月1日からEU MRVへデータの報告を開始し、2027年からETSに組み入れられ、2028年に最初のEU排出枠(EUAs)を償却しなければなりません。
- 400~5,000GTのオフショア船と一般貨物船は、2025年1月1日からEU MRVへデータ報告を開始しなければなりませんが、ETSへの組み入れは2026年に見直されます。
これらの要件は、欧州委員会のクライメ-ト・アクション(Climate Action)ページから引用した下表に纏められています:
すべての排出量がEU-ETSの対象となるのか?
少なくとも当初の段階では、答えはノーです。
EU-ETSの対象となる排出量は以下の通りです。
- EU域内航海からの排出量の100%
- EU域外の港からEU域内の港に到着する航海、またはEU域内の港からEU域外の港に向けて出帆する航海の排出量の50%[5];
- EU域内の港に停泊時に発生する排出量の100%
オフセット(相殺)される排出量の割合
相殺要件は段階的に導入され、排出枠要件は以下のように毎年増加します:
2025年:2024年に報告された排出量の40%
2026年:2025年に報告された排出量の70%
2027年以降:報告された排出量の100%
事例:
- 2024年、ある貨物船がEU域内で荷役中に100トンのCO2を排出したとします。排出量は100%カウントされますが、相殺が必要なのは排出量の40%(すなわち40 EUAs)です。
- 2025年、ある貨物船がEU域外の港からEU域内の荷揚げ港までの航海で100トンのCO2を排出したとします。CO2の50%(すなわち50トン)だけがカウントされ、50トンの70%だけを相殺する必要があります(すなわち35 EUAs)。
- 2026年、ある貨物船がインドの港から出航し、ギリシャの港、イタリアの第二の港で荷揚げするとします。インドからギリシャへの排出量の50%×100%、ギリシャからイタリアへの排出量の100%を相殺する必要があります。
EEA諸国、ノルウェー、アイスランド、リヒテンシュタインがEU-ETSに含まれ、これらの国の港への寄港はEU加盟国の港への寄港と同様に扱われることにご留意ください。
EU監視・報告・検証規則 (EU MRV)
EU MRVは、EU域内の海運活動から排出されるGHGを監視・分析するために2017年に策定された規制枠組です。EU域内を運航する5,000GT以上のすべての船舶に対し、燃料消費量とGHG排出量の監視と報告を義務付けています。EU MRVは2023年に改定され、海運事業もEU ETSの対象になりました。2024年1月1日以降、船主は、EU MRVプラットフォームに、各暦年の1月1日から12月31日までの検証済み[6] の船舶の燃料消費量と排出量を翌年の3月31日までに報告しなければなりません。
船主は、報告年の9月30日までに、EU ETSにおける排出義務を相殺するのに十分な排出枠を償却しなければなりません。
EU排出枠(EUAs)
一般的なEUAsは、セクターを問わずEUにより発行されます。2024年は8,000万EUAsが海運に確保されています。この数量は毎年約4%減少していきます。海運会社は、各当該年の自社排出量を相殺するために、どれだけのEUAsを償却する必要があるかを算出しなければなりません。その後、海運会社は、自社のニーズとEUAs購入予算に応じて、EUAsを取得するための以下の3つの主なオプションから1つを選択します:
- プライマリーマーケット(一次市場)のオークション- EUとその加盟国に代わって欧州エネルギー取引所(EEX)が手配し、固定価格でEUAsを購入できます;
- セカンダリーマーケット(二次市場) - 需給に応じて価格が変動するEUAsが取引されます;
- 先物市場 - 将来の排出枠償却義務を満たすためにEUAsを購入- EUAsの価格は市場の予想によって変動します。
2013年以降に発行されたEUAsには有効期限がなく将来の使用のために備えておくことができます。
EUAsのオークションから得られる収益の一部は、港湾を含む海運セクターの脱炭素化を支援するためにイノベーション基金に充てられます。
管轄当局と海運事業者の保有口座
管轄当局とは、EU/EEA加盟国の当局であり、海運会社は前暦年の排出量に応じてEUAsを償却しなければなりません。
2024年1月31日、EUは、海運会社がEUAsを償却する際に通知の送付先となる管轄当局の登録先リストを発表しました。EU加盟国に登録されている海運会社は、その登録されている加盟国に自動的に割り振られます。EU加盟国に登録されていない海運会社は、過去4年間に最も頻繁に寄港した寄港地の管轄当局に割り振られます。 同リストは、THETIS-MRVシステムに記録された各海運会社の入手可能な最善の情報に基づいて作成され、寄港地についてはSafeSeaNetで報告されたものです。
登録先リストの公表から40営業日以内に、海運会社は登録先管轄当局に海運事業者保有口座を開設するための情報を提出しなければなりません。同リストに載っていない海運会社は、EU-ETSの適用対象となる船舶の最初の寄港日から65営業日以内に、これを行う必要があります。
登録先リストは2年ごとに更新されます。
EU MRVおよびEU-ETS遵守の責任主体は誰なのか?
EU MRVおよびEU-ETSを遵守する責任主体は、船舶所有者(すなわち登録船主)または船舶のISM Managersです。ISM Managersが遵守責任を負うためには、船主(または船主の代理人としての裸用船者)からの明示的な委任が必要です。
しかしながら、海運会社がEUAsの償却に責任を負う存在であることに変わりありません。とは言え、EUは「汚染者負担」の原則、すなわち環境破壊の責任者がその費用を負担すべきであるという原則を認めています。そのため、船主はEU ETSの遵守コストを用船者から回収しようとするでしょう。BIMCOは、このような遵守コストを当事者間で配分するための交渉を支援するため、いくつかの条項を作成しました[7]。
有効な寄港地
EU-ETSにおける寄港地とは、「貨物の積み降ろし、旅客の乗降のために船舶が寄港する港、または、オフショア船の乗組員が交代するために寄港する港」と定義されています。以下の目的での寄港はこの定義から外れます:
- 燃料給油を唯一の目的とするため、
- 物資調達のため、
- 乗組員の交代(オフショア船を除く)のため、
- 乾ドックに入渠するため、又は船舶および/または機器の修理・修繕を行うため、
- 船舶が救助を必要としている、または遭難しているため、
- 港外で行われる船舶間の移送のため、
- 荒天時の避難を唯一の目的とするため、または捜索と救助活動によって必要とされるため、
- リストアップされた「欧州域内に隣接するコンテナ積替港」(NCTP[8] - 下記参照)へコンテナ船が寄港するため。
炭素漏れと隣接するコンテナ積替港(NCTPs)
EUは、「炭素漏れ」を防止するため、特定の港湾をNCTPsに指定しています。
以下は炭素漏れの一例です。あるコンテナ船が上海でロッテルダム向けに貨物を積載しました。船主は、ロッテルダムに向かう前にモロッコのタンジェに寄港し、さらに貨物を積み込みました。これは、EU ETSの対象外の上海からタンジェまでの航海の排出量の支払いを避けるためです。船主は、EU ETSの対象となるタンジェからロッテルダムまでの間だけの排出量を償却すれば良いことになります。
上記のような抜け道を塞ぐために、タンジェ港やエジプトのイーストポートサイド港を含む特定の港は、「隣接するコンテナ積替港」(NCTPs)に指定されています。NCTPsはコンテナ船の寄港地としては認められません[9]。 この寄港地としての不適格性は、コンテナ船にのみに適用されます。従って、上海を発航したばら積み船は、EUの港に寄港する前にNCTP港で荷揚げしても、NCTPからEU港までの排出量のみを支払えばよいことになります。
NCTPsリストは、次回2025年12月31日までに更新され、その後は2年ごとに更新されます。
提出義務の不履行
EU加盟国は、効果的、相応、かつ抑止力のある罰則を定めることが義務付けられています。さらに、EU法に従い:
- 海運会社がEUAsの償却を怠った場合、まずCO2 換算で1トン当たり100ユーロの罰金が課されますが、その償却不足分のEUAs償却義務は当該海運会社が果たさなければなりません。
- 2期以上連続してEUAsの償却を怠った場合、海運会社はEU加盟国の港への入港を拒否される可能性があります。EU加盟国船籍の船舶がEU加盟国の港に入港した場合は、その会社の償却義務が履行されるまで拘留される恐れがあります。
- 船主名がメディアに公表されることもあり得ます。
結論
EU-ETSのキャップ・アンド・トレード制度は、発電、航空等の産業においてGHG排出削減に成功しており、海運においても同様にGHG排出削減が期待されています。
さらに排出量を削減するため、更なる政策や取り組みが検討されています。 例えば、EU-ETSは船舶から直接排出される (“tank to well”) 排出量のみを対象としているのに対し、2025年1月1日から施行されるFuelEU Maritimeは、燃料のライフサイクル全体 ( "well to wake”) での排出量を対象とすることで、再生可能な低炭素燃料の使用を促進し、再生可能な非生物起源燃料(RFNBO)の生産と使用を促進することを目的としています。EUによるこの2つの新たな取り組みは、EUが2050年までに温室効果ガス排出量ゼロという目標を達成するために必要な変化を推進するために連動機能を果たすことを意図しています。
その一方で、船舶や船舶エンジンの設計の改善、減速運航、太陽光発電や風力発電の利用、ポセイドン原則、グリーン海運回廊、ブルー・ヴィスビー・ソリューションといった金融上、運航上、さらには消費者に向けた新たな取り組みの立ち上げなど、すべてが海運における温室効果ガス排出ゼロに貢献しています。
メンバーの皆様には、欧州委員会のFAQsへのリンクがお役に立つと思いますが、本件に関するご質問などございましたら当クラブ担当者へお気軽にお問い合わせください。
FAQ – Maritime transport in EU Emissions Trading System (ETS) - European Commission (europa.eu)
FAQ - Interim guidance on the revision of the Monitoring Plan - European Commission (europa.eu)
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[1] MEPC 80 - A Summary (ukpandi.com)を参照。
[2] 2030年までに1990年比で温室効果ガス排出量を55%削減し、2050年までにネットゼロにするというEUの目標達成を支援するため、EUの「Fit for 55」パッケージの立法提案が採択された。
[3] 指令 - Directive - 2023/959 - EN - EUR-Lex (europa.eu)
[4] 以下のカテゴリーの船舶は除外対象となる:軍艦、海軍補助船、漁獲船または水産加工船、機械的推進手段を持たない船舶、非商業目的で使用される政府船舶。
[5] EUは、IMOが2028年までに世界的な市場ベースの措置を採択しない場合、EU域内発着の船舶からの排出量の50%以上を対象とすることを検討する意向を示している。
[6] 船舶の排出量は、EU加盟国が認定した検証機関(すなわち、国家認定機関)によって検証されなければならない。
[7] ETS - 定期用船契約に関するETS条項 2022
ETS - Shipman(船舶管理契約)に関するETS条項 2023
ETS - 航海用船契約に関するETS運賃条項 2023
ETS - 航海用船契約に関するETSサーチャージ条項 2023
ETS – 航海用船契約に関する排出権譲渡条項 2023
[8] その港が、ETS指令に規定されている以下の3つの基準を満たす場合、「隣接するコンテナ積替港」と特定される:データが入手可能な直近の12カ月間で、その港でのコンテナ積替の比率が同港のコンテナ総輸送量の65%を超えていること、その港がEU域外に位置しているがEU加盟国の管轄下にある港から300海里未満であること、その港の国が同港に対してETSに相当する措置を実質的に適用していないこと。
[9] Commission Implementing Regulation (EU) 2023/2297 of 26 October 2023 identifying neighbouring container transhipment ports pursuant to Directive 2003/87/EC of the European Parliament and of the Council (europa.eu)
[10] 海運部門におけるグリーンシッピングの取り組みについては、COP28 - A Summary (ukpandi.com)をご参照ください。