現代世界の七不思議:パナマ運河
初めに
1914年、1隻の船がパナマ運河をファンファーレも無く(注1)ヒッソリと通航しました。これは44年前に始まった多国籍の取り組みが実を結び、最終的にはエンジニアリングの偉業がほんのわずかな可能性となった結果でした。その年、1,000隻の船が運河を通過しましたが、今日、その数は14,000隻に近づいています。パナマ運河は、運河建設に必要な掘削作業を減らすために作られた人工湖、ガツン湖で広く知られています。運河の両端にある閘門(ロック)(注2)は、各船を着実に湖(海抜85フィート)まで持ち上げ、もう一方の端では船を下します。
運河は海岸線から海岸線まで約50マイルの長さで、大西洋と太平洋を接続し、それを使用することにより約8,000マイルの距離を節約することができます。運河を通航するために船が支払う通航料(注3)は、年間約18億ドルになります。歴史的に、ドライおよび液体バルクキャリアがこれらの収益のほとんどを生み出してきましたが、今日、収益の大部分はコンテナ船から得られています。(注4)
簡単な歴史
19世紀後半に運河を建設しようとしたフランス人の試みが失敗し、レセップス(注5)とエッフェル(注6)が事業失敗で刑事告発された後、米国は1902年にいわゆるその努力と試みの遺物を購入しました(注7)。しかしながら、コロンビア(当時はパナマを含んでいた)のその政治的な感情により、作業開始の承認を妨げました。翌年、パナマはコロンビアからの独立を宣言し、パナマ運河条約に署名しました。これにより、米国は運河を建設できる500平方マイル以上の区域の権利と、運河を管理する権利を永久に与えられました。
運河地域に対する米国の支配は96年間続きました。その間、米国は紛争処理のために地方裁判所を設立し(注8)、パナマ人が運河地域内で自分達の旗を掲げることを阻止しました。1960年代外交関係は緊張したものになり、1974年米国上院は、運河地帯の管理について1999年にパナマに戻すことを保証するという条約を承認しました。
2007年、パナマはポスト・パナマックスの大型船に対応できる3番目の閘門(ロック)を構築するため、52.5億ドルのプロジェクトに着手しました。 2016年パナマ運河は、大型船に対応するように設計されたネオパナマックス閘門(ロック)を正式にデビューさせました。このプロジェクトはまた、既存の水路を拡張および深水深化させ、ガツン湖の最大稼働水位を引き上げました。この拡張した閘門の建設には9年かかりましたが、現在運河は世界の船隊の98%に対応することが可能となりました。(注9)
クレームに関する考慮事項
当然のことながら、運河を通航する際の重要な問題は、衝突(特に閘門に対する)であり、強風が課題となっています。歴史的に、運河の運営は天候の影響を受けてきました。たとえば、2019年の干ばつの間、運河を通航する一部の船舶は、航行可能にするため、積載貨物の量を制限しなければなりませんでした。
運河を通航のすべての船舶は、強制水先が必要となります。他の法域とは異なり、パナマ運河当局はその過失に対する訴訟から逃れられません。船主は、事件の日から2年間、運河当局に対して行政請求を行うことができます。船主が管理委員会(the Administrative Board)の決定に不満がある場合、彼らは訴訟を起こすために1年の猶予があります。ただし、検査委員会(The Board of Inspectors)は、証明可能な場合、運河当局に対し過失を割り当てることが知られているため、一部の事件では訴訟なしで行政レベルにより解決することができます。
この事実は、「直接行動」管轄権として、パナマの国家地位により、幾分和らげられています。これは、パナマでは、当事者が保険会社を直接訴えることができることを意味します。パナマの法制度は、民法と憲法管轄の両方から影響を受けており、最も注目すべきは、海事クレームが専門の海事裁判所で審理されることを意味します。
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注1)第一次世界大戦の開始により、開通式祝典はキャンセルされました。
注2)元の閘門(ロック)の幅は110フィートであり、 ネオパナマックスロックの幅は180フィートです。
注3)これまでに支払われた最小通航料は、1928年に運河をすべて泳いだリチャード・ハリバートンによる、0.36ドルでした。
注4)ドライ&液体バルクキャリアが2番目に収益が高く、Ro-Ro船が3番目に収益を上げています。
注5)スエズ運河の開発者。
注6)エッフェル塔の設計者。
注7)当時、25,000人近くが運河での作業で亡くなったと推定されています。そのほとんどがマラリアと黄熱病でした。
注8)運河地区地方裁判所は68年間審理を行いました。閉廷後、訴訟事件簿はニューオーリンズのルイジアナ州東部地区裁判所に移されました。そこのトゥレーン大学ロースクールに、運河地区地方裁判所で使われた裁判官席が未だにあります。
注9)コンテナ船のサイズが大きくなると、必然的に運河を通過できない船のリストが増えます。現時点では、マースクのトリプルE型船が、運河を航行できない唯一の船舶です。