航海計画策定と堪航性(その2)(Torepo号座礁事件)

Passage planning 2

1. 背景

2020年3月、英国控訴裁判所はCMA CGM Libra号の座礁事故に関し、厦門港出港前の航海計画が不備であったとして、座礁時堪航性が無かったという非常に注目すべき判決を言い渡しました。(詳細は拙稿“航海計画策定と堪航性”1)参照)

この判決は世界中の航海者(船長、航海士)及び船主(船舶管理会社)に衝撃をあたえました。航海者は、航海計画を航海ごとに、深甚な注意のもとで策定していますが、そういったルーティン業務である航海計画を策定する上で、どのような瑕疵があったのか、あるいはどのような項目が見落とされたのか、非常に気になるものでした。

本件の航海計画の不備と指摘されている点は、主に次の2点です。

1) 英国水路部発行の水路通報NM6274(P)/10の下記内容を考慮しなかった(海図に注記せず)

  • 水路の西側(外側)は危険海域である
  • 海図記載水深より小さい水深が多い

(注)水路通報番号の後にある(P)は、Preliminary(一時予告)

2) No Go Areaを記載せず

一方船長は、水路内の水深についても一部に浅水部があるという情報を得ており、結果的に水路を出て、水路外の海図未記載の浅瀬に座礁しました。

判決の中では、船橋チームの脆弱性についても指摘されていますが、上記2点の瑕疵が主要なものでした。一般に航行中の事故は、航海過失として処理されますが、本件では、航海者の航海過失では無く、航海前の注意義務を怠ったとして(不堪航)、船主責任を問われました。

本稿では、「航海計画の不備は不堪航」であるという航海者や船主を悩ませかねない今回の判決とは異なる例、すなわち「航海計画の不備は航海過失」として、堪航性を問われなかった判決事例2)3)を紹介し、各位の議論を期待したいと思います。

2. 概要

タンカーTorepo号(DWT25,602、LOA171.4m)は、1997年6月30日アルゼンチンのLa Plataにおいて、ガソリン23,700トンを積載し、エクアドルのEsmeraldasに向けて出港しました。本船では、パナマ運河経由、ホーン岬経由、マゼラン海峡経由と3つの航路が検討されましが、結局、最短となるマゼラン海峡経由の航路を採用することになりました。

しかし、本船では同海峡の海図は無く、途中港Montevideoで一部のBA版海図を入手しましたが、海峡内のほとんどの海図(チリ版)は、パイロットが持参するということになりました。

7月7日マゼラン海峡入口(Possession Bay)でパイロット2名乗船後、これらの海図、及びパイロットが同海図に記載してある距離インデックス等(航海計画)を利用して海峡を進んでいきました。従って本船では水路内の詳細な航海計画は策定していませんでした。

7月9日パタゴニア水路航行中、予定していた変針点において変針せず、そのまま直進し、対岸のWellington島に座礁しました。このとき、船橋には、パイロット、1等航海士、キャデット及び操舵手が当直中でした。

裁判では、原告(荷主)が航海計画の不備や船長、航海士の過失について多くを問いましたが、堪航性の欠如は否定され(船主責任無し)、パイロットと1等航海士の航海過失とされました。

<座礁経過>

0530時 Grappler Channel北端に接近、針路312度

0535時 Punta Hayman付近、エンジンFullからSlowに減速 チリ版海図上での予定航路は、Punta Hayman沖で針路328度に変針し、その後Foot Island沖で針路013度に変針することになっていた
しかし、パイロットは328度に変針せず、針路312度のまま進んだ

0550時 Wellington島海岸に座礁、船首方位314度

図-1 航海概要図-①

(Google Mapより作成)

 

図-2 航海概要図-②4)

3. 検討

1)航海計画

原告(荷主)は、航海計画に関し、次のように主張しました。

  • 当直航海士(OOW)に役立つ、あるいは船舶の進行をOOWに積極的に監視させるような航海計画は無かった。
  • 船長は、航海計画に関し、積極的な対応はせず、パイロット嚮導下では特にそうであった。

また、原告はさらに、このような本船側の状況により、航海計画に関し本船には次のような過失があると指摘しました。

ⅰ) Foot島灯台が視認できるところに来たとき、本船が次の変針点に接近しているという注記を記載すべき

ⅱ) Wellington島に接近する場合、許されうる最小接近距離線を記載すべき(著者注:結果的にこの線は、航海計画中断(abort)を示すものとなろう)

ⅲ) 013度のパラレルインデックスを両岸に沿って記載すべき

これに対し、判事は次のような見解を示します。
「航海計画は科学ではない。海図にどのような注記を記載するかは、必然的に判断の要素が働く。私は指摘の3点を追加することで、航海計画が改善されるということには同意する。しかし、航海計画は本船の船長や航海士が用意したものではなく、パタゴニア水路で何ら事故を起こしたことのない、日々嚮導しているパイロットが用意したものであり、有能な海技者の欠陥であると、非難されるべきではないと確信している。」

このやり取りには、非常に大きな意味があると思います。原告の示す上記3点は、航海計画策定の基本となるものです。Libra号事故ケースにおける、水路通報やNo Go Area の記載も航海計画策定の基本となるものです。

どちらも、航海計画の基本事項の未記載となるわけですが、共同海損上の船主責任については大きな違いが生じますが、この違いはなぜなのでしょうか。

2)船主(管理会社)の注意義務

船主は、本船の航海計画に関しどのような注意義務を果たしたかが問題となります。

船主(管理会社)の航海手順書第5章には、「航海計画策定においては、パイロット嚮導海域も含めて作成されなければならない」と強く求めています(5.1.1及び5.2.8)。

この指示書(Bridge Procedure Guideのような本船備え付けの刊行物と同様)は、非常に適切なもので満足のいくものでした。一方、現在各船で採用されているSMSマニュアルの中には、どの会社も同様の手順書やマニュアルが含まれており、単にこのような文書を船主(管理会社)が用意した、というだけでは、不充分かと思います。会社のそのような指示事項(マニュアル記載事項)を、いかに本船が正しく履行していくか、日ごろかの訪船活動や内部監査等で、常に確認し動機付けをしていく必要があります。

3)船長のマネジメント

原告(荷主)は、船長のマネジメントの欠陥についても次の点から強く主張しています。

「船長は航海計画策定に積極的ではなく、これはパイロット嚮導下における本船の責任についても同様であり、よって船長はTorepo号の指揮者として不適格である。従って本船は(船主によって)適正な人員配置がされていない」

こういった主張に対し次に示すような船長のいくつかの対応が示されています。

①航海計画

ⅰ) 船長はMontevideoで全ての適切な海図を注文した

ⅱ) パイロット乗船海域までの海図がある(必要ならケープホーン経由の航路も含め)

ⅲ) マゼラン海峡経由が決定されるや、2等航海士は直ちに航海計画を策定

ⅳ) 航海計画は、限られた資料の中で作られてはいるが、満足のいくものである

ⅴ) 航海計画は、大縮尺海図が無かったため、完成することができず、また、使用することができなかった

ⅵ) 船長は、パイロットが適切な大縮尺のチリ版海図を持参していると報告を受けている

ⅶ) これら海図は、用意していた航海計画を入れ込み、パイロットが用意した計画をレビューするのに適切に使用された

また船長は、本船の進行状況については、予定航路にそってパラレルインデックスを使用して監視すること、と最善のアドバイスをしています(後記)。このように、船長は、航海計画策定に際し、最善の努力を実施したと認められました。

スタンディング・オーダー(船長の航海直包括指示事項)

船長はスタディング・オーダーを記していますが、「パイロット乗船中の航海」及び「見張り」については次のように述べています。

  • パイロット乗船中の航海

「パイロットの存在は、当直航海士の義務と責任を解放するものでは無い。当直航海士はパイロットと協力し、本船の位置と運航状況について、常に正しく確認すること。針路、操舵号令、機関制御のいかなる変更も、当直航海士を通じて実施すること。そしてそれらが適宜実施されることを確認しなければならない。もし、当直航海士が、パイロットの行為、あるいは意図に疑問を生じたときは、パイロットにその真意を質問し、もし疑いがあるなら、直ちに船長に報告せよ。」

  • 見張り

本座礁事故は、1等航海士の見張り不十分が原因であるとし、航海過失とされました。この「見張り」に関し、船長はスタディング・オーダーに次のように記述しました。

「当直航海士は、継続的、そして注意深い見張りの維持に関し責任を有する。これは、海難回避における最も重要なことである。有効な見張りを維持するには次の事項を含む 、、、、(c)船舶及び灯台の灯火の識別」

Patagonia水路入域前のブリーフィング

船長は、Patagonia水路入域前、航海士を集めてブリーフィングをしています。これは、パイロット持参の海図を全面的に依存するという異常事態について、どのように対処するかということです(いずれにしろ、水路のための大縮尺のBA版海図はありません)。船長は、航海士に対し、パラレルインデックスによって、海図上における航行の進捗を監視するように指示しました。また、記録として、BA海図561に1時間に1回位置を転記するよう指示しました。

言うまでもありませんが、海図が不正確(注)でレーダーと目視で航海する場合は、パラレルインデックスにより、左右偏位を確認して進行するのが最も安全航行と言えるでしょう。

(注)マゼラン海峡に関する水路図誌(Sailing Direction)には、次の記載あり

a) 水路は完全にはサーベイされていない

b) いくつかの岬は、海図上で不正確であり、測得した位置は不正確の可能性がある

c) ブイやビーコンは正確では無い

座礁時船長の船橋不在

原告(荷主)は、座礁時、船長が船橋不在であったことを追求しました。これは座礁前日の夜間命令簿には、当直航海士に対し「疑問があれば」呼べ、とあり、この指示が不適切であると主張しています。

これに対し次のような反論がなされています。船長は、パイロットとの打ち合わせの結果、船長の昇橋の必要な危険海域は、Angostuna Inglesa(座礁海域の先)であり、座礁海域では昇橋の必要な無いとなりました。従って、座礁時船長が船橋に不在であったのは、過失では無いと認められました。

4.まとめ

1) 判決

判決は次のように言い渡されました。「原告(荷主)は、本海難事故が堪航性の欠如の原因により発生したとする立証に失敗したと結論づける」

すなわち、座礁時においても、堪航性の維持が証明されたことにより、船主責任には該当せず、本件の原因は、パイロット及び1等航海士の見張り不十分によるもので、両者の航海過失とし、共同海損で処理されることとなりました。なお、一等航海士の見張り不十分(航海過失)に関しては、当日0535時まで、すなわち座礁の10分前まで彼の行為に関し何ら過失は無かったと認められました。

2) まとめ

船主(船舶管理者)は、航海に関し適切な手順書や指示書を船舶に提供し、航海中の不適切な行為や怠慢等の問題の発生を回避するため、またはその影響を最小限に抑えるため、提供した手順書等が確実に実施されていることを確認する必要があります。これには前述したように、適切な内部監査や定期的な訪船活動(検船)の実施により本船のパフォーマンスをモニターし、必要であれば指導、指示をしなければなりません。

本件では、船主の代理人である船長は、船主提供の手順書等を遵守するとともに、good seamanshipの下その職責を果し、船長の行為及び船橋マネジメントは合理的であったと言えるでしょう。このように、船長の職責は、船主の代理人という大きな責任を有し、本件で問われた船主責任、すなわち、本件事故が本船の堪航性の欠如により発生したことは否定されたのです。

以上

<参考文献>
1)“航海計画策定と堪航性”
https://www.ukpandi.com/news-and-resources/articles-new/passage-planning-and-seaworthiness/
2) Torepo 座礁事故
[2002] 2 Lloyd's Rep. 535THE “TOREPO” [2002] EWHC 1481 (Admlty)
3)宮脇亮次 「座礁は航海過失あるいは船舶の不堪航か」
最新海事判例評釈(第Ⅲ巻) 海法研究所
4)参考文献3)“図3パタゴニア地図”を参考に作成

Captain Hiroshi Sekine

Senior Loss Prevention Director

Date2021/03/10